50円の幸せ

 学校の課題が出ると、よくガンダムのプラモデルを作っていた。そう、現実逃避である。
 しかし最近は作っていない。さすがに仕事では現実逃避は出来ない。そのため、買ってそのままのプラモデルがたくさんある。
 今日、その山積みされた箱を眺めていて、昔の夏祭りを思い出した。私がまだ小学2年生ぐらいの事である。


 その頃は団地に住んでた。そしてその近くの広場で、祭りが開催されたのだ。広場といっても少し大きな公園といった感じである。
 夕方になると、団地の住民が大勢集まった。
 私は父と一緒に出掛けた。私にとって初めての祭りである。


 広場は、団地より少し高い場所にある。力強い太鼓の音につられて私は駆け足で階段を上った。
 目の前に広がった世界を今でも忘れない。提灯(ちょうちん)の灯り、屋台のかけ声、華やかな浴衣と楽しそうに踊る人々。活気が溢れる光景に、私は「うぉー」と喜びの雄叫びをあげた。
 しかし、そんなに世の中は甘くなかった。


 目の前に広がる楽しげな品物。わたあめに金魚すくいに風船釣り。これらのものは、買って初めて楽しさが分かるのだ。
 祭りに来て30分。買ったのは100円の焼そばだけ。…そう、私の父はケチだったのだ。
「しっかり食べておけ。これが夕飯だから」
 祭りでケチる意味が分からない。私の家は特に貧乏という訳ではない。なのに何故50円や100円をケチるのだ。
 父よ、50円で息子の幸せが買えるのだ。安いものではないか。どうしてためらう。
 私は冷静に、そして論理的に訴えた。
「うわーーーん! 買って買って買って〜〜! お願い〜〜〜! びえ〜〜〜ん!」
 じだんだを踏みならし、涙と鼻水を一緒にさせながら叫んだ。


 父はとうとうそれに屈した。私の勝ちであった。
 1つだけという条件でゲームをやらせてもらった。”1つだけ”って…。まだここでもケチるのか、と皆は思うであろう。しかし、あの父に遊びの金を出させたのだ。これは大きな功績なのである。
 私は、ボールを転がし穴に入れるというゲームを選んだ。ゲームの賞品がかなり豪華だったからだ。
 ベニア板に穴が数カ所あいており、上り坂になっている。そこにボールを転がし入れるのだ。もちろん上の方が一番点数が高い。どこかの穴に入りさえすれば良い。しかし一度でも外れると、そこでゲームオーバーという厳しいゲームであった。
 この厳しい条件が、逆に私の闘争心に火をつけた。私は集中した。空気が張りつめ、私の周りの雑音が全て消えた。
 敵は己のみ。私はボールを勢い良く転がした。最高得点の穴に見事に入る。やった!
 そして2個目も同じ場所へ入れた。3個目、4個目も、先程の録画を見ているように続いた。観客は私が投げ入れる度に歓声をあげている。
 外す気がしなかった。もう、時まで支配したような感覚になった。しかし7個目を投げようとした瞬間、屋台のおじさんの顔が目に入った。不安げな表情でこちらを見ている。ここで小学2年の私は思ってしまった。
 あんまり入れると、悪いかな…。
 集中力が切れたのか、優しさでわざと外したのか、ボールは目標も定まらずフラフラと脇へ落ちてしまった。
 観客は「あ〜、残念だったね〜」と声をかけてくれる。父も頭を撫でながら、「すごかったじゃないか」と言ってくれた。
 しかし私は叫びたかった。まだやれたんだ! 入れられたんだ! でも、あのおじさんが! あのおじさんが可哀想だったから!
 私は店のおじさんの顔を見た。おじさんはまだ不安そうな顔をしていた。
 あっ! と思った。


 こういう顔なんだ!


 悔しかった。騙されたような気がした。
 しかし賞品を渡されると、そんな気分が一気に吹っ飛んだ。渡された物は、大きなガンダムのプラモデルだった。
 父も観客も拍手をしてくれた。おじさんも不安な顔で笑い、拍手をしている。
 幸せだった。私は50円で人生最高の幸せを手に入れたのだ。




 今はそこからひたすら転がり落ちている…。